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大川小の生き残りは教師一人、津波訓練の甘さを悔いる余生?

      2016/10/27

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26日、仙台地裁(高宮健二裁判長)は、東日本大震災の津波で死亡や行方不明になった宮城県石巻市大川小学校の児童23人の19遺族が市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で学校の責任を認め、計約14億2660万円を支払うよう市と県に命じました。

これから判決内容等を総括してみたいと思います。

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公立学校教職員の管理監督下で震災の津波で犠牲となった児童生徒を巡る司法判断は初めてこの判決は教職員の責任範囲について天災にいたるまであるという意味で、全国の教育現場に大きな影響を与える可能性があります。

19遺族は2年半前の2014年3月に提訴。訴訟では(1)津波の到達を予見できたか(2)津波の被害を回避し、児童を救えた可能性があったか―が裁判の主要争点だった。遺族側は「防災無線や市広報車からの情報で津波の襲来は認識できた。裏山などへ避難すれば全員助かった」と主張。

市側は「当時得られた情報から想定を超える規模の津波は予見できず、結果は回避できなかった」と反論していた。

%e5%a4%a7%e5%b7%9d%e5%b0%8f-%e6%b4%a5%e6%b3%a2%e7%8a%b6%e6%b3%81訴えによると、2011年3月11日午後2時46分の地震発生後、大川小の教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示

校庭近くの北上川堤防付近(標高6~7メートル)に避難を開始した直後の午後3時37分ごろ、高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。

当時、校内にいて助かったのは教職員11人のうち男性教務主任1人と、児童4人のみ。学校の管理下で子どもが犠牲になった戦後最悪の惨事とされ、遺族らは真相究明を求めてきた。

仙台地裁で言い渡された津波訴訟判決は6件目。行政の賠償責任が認められたのは、東松島市野蒜小を巡る訴訟(仙台高裁で審理中)に続き2件目となる。

地震発生による津波体験が無いので避難場所として明確な方針がなかった。大きな地震で避難予定地の裏山が安全化どうか明確ではなく迷い、近くで低いが安全で避難し易い場所を選んだ所は津波に飲み込まれてしまった。

防災警報車が津波の襲来7分前に音声案内で速やかなる避難を指示していました。よって裁判長は『津波対策上、より安全な行動として裏山に児童たちを避難すれば間に合ったのに、その行動を指示しなかった責任がある」と言う判決を下しました。

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まとめ
日頃の訓練で本当に津波から逃げる訓練が出来ていれば全員、助かったと思う。避難指示から45分間、津波襲来を待ってから避難しているよな訓練は訓練の行事を消化しているにすぎない。津波の大きさ予想から避難方法・程度が変わる様な訓練にそもそも問題ありと言わざる絵をえない。詰まり、本当の避難訓練をさせていなかった責任が問われたとも言えるに思う。 

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