タフオ

Just another WordPress site

*

伊集院光とらじおと視聴率、世代交代しても一位確保、その魅力は

   

Pocket

序:今春、30年間続いたお化け番組「TBSラジオ番組大沢悠里のゆうゆうワイド」の後継となった番組を担当する事になったのは推定体重125kgの大柄の「デブタレント」伊集院光 48才です。雑学に長け、クイズ番組ではその培われた知識や「ひらめきの天才」と呼ばれる推理力で上位の成績をおさめることが多く教養系バラエティ番組では聞き手として活躍しています。

テレビ出演とは別に「ライフワークはラジオである」と思っていて、TBSラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』に力を注ぐ。ラジオでは毒舌と下劣ギャグ・珍言妄言・自虐ギャグなど、テレビとは違うより彼のオリジナルの一面をみせる。しばしばテレビにおける人当たりの良いキャラクターを「白伊集院」、ラジオでのキャラクターを「黒伊集院」とファンに例えられることがあるが、本人によれば「テレビとラジオでは喋る対象を変えてるので聴いてる人からはそう思われてるかもしれない」としている。雑学中心の記憶力はもったいない程のパワーを感じるのはわたしだけだろか?世のため人の為に活かせる事を願いつつ、彼をとことん検証したい!

プロフィール

伊集院 光
本名 篠岡 建(妻の実家に婿養子)
田中 建(旧姓)
生年月日 1967年11月7日(48歳)
出身地 日本の旗 日本東京都荒川区
血液型 O型
身長 183cm
方言 東京弁
最終学歴 荒川区立第七中学校
東京都立足立新田高等学校中退
師匠 6代目三遊亭圓楽
出身 落語家
事務所 ホリプロ
活動時期 1984年 –
現在の代表番組 伊集院光 深夜の馬鹿力
100分de名著
伊集院光とらじおと
過去の代表番組 伊集院光のOh!デカナイト
伊集院光 日曜日の秘密基地
伊集院光のばんぐみ
作品 著書「のはなし」シリーズ
他の活動 株式会社博士.comのWebキャラクター
配偶者 篠岡美佳
受賞歴

今日までの歩み
落語家時代(圓楽一門に出会うまでとその後)
高校受験に失敗(入学した足立新田高校は当時倍率が1倍未満の底辺校だった)してからは部活動(野球部)を除いて不登校になり、アメ横の店員、スーパーの店員(惣菜製造など)といったアルバイトをしていた。

1984年7月(17才)、両親は不登校が心配で、父親の知り合いである「吉河さん」(後に大師匠である5代目三遊亭圓楽の実弟であることが判明)の紹介により圓楽一門へ入門。三遊亭楽太郎 当時34才(現:6代目三遊亭圓楽)の弟子となり、三遊亭楽大(さんゆうてい らくだい)として活動をはじめる。 その後、高校を卒業間近の3年生2月(ただし、本人曰く3年次はほとんど出席していなかったため、卒業に必要な出席日数を確保していたかは不明)に中退。

師匠には内緒で「伊集院光」の名でラジオ番組に出演し始める一方で1988年(当時21才)に二つ目昇進。入門5年目の同年には第17回NHK新人落語コンクール(現:NHK新人演芸大賞「落語の部」)本選に「子褒め」で出場を果たしている(他の本選出場の4人はいずれも修行年数が10年以上)。楽太郎から伝授された噺は40-50席以上。 楽太郎の弟子という関係で、日本テレビの番組『笑点』の「若手大喜利」にも出演していた。

1990年(当時23才)、「三遊亭楽大」ではなく「伊集院光」の名で人気を博し、脚光を浴びていたラジオ番組出演が一門に知られ問題となる。話し合いを重ねた結果、落語家としての籍を離れる(破門ではなく自主廃業)。この時、楽太郎は伊集院を擁護しており、2003年(当時36才)4月には三遊亭楽太郎一門会へ出演させたり、ラジオやテレビでの共演もあるなど、楽太郎は未だに身内として扱っていた。また、伊集院本人も楽太郎のことを「師匠」と呼び敬意を払っている。
(現在、三遊亭楽大の名は楽太郎門下の別の落語家が名乗る。)

ラジオ(ニッポン放送時代:1987 – 1995年)
1987年、元兄弟子の放送作家・石田章洋(三遊亭花楽京)からの誘い(ただし、人数合わせのサクラに近い)で、ニッポン放送のお笑いオーディション番組『激突!あごはずしショー』(1987年10月 – 1988年3月)に出演。このオーディションで優勝したことがお笑いタレントとしてのデビューのきっかけと語っている。

当時のキャッチフレーズは「オペラ座の怪人」を捩った「オペラの怪人」(但し、邦題「オペラの怪人」というタイトルの映画も実在する)。タキシードで正装し、威風堂々と「オー・ソレ・ミオ」を「恐ぉ〜れ山のイタコ」、「鰹風味のほんだし」(味の素「ほんだし」サウンドロゴ)を「鰹風味のふんどし〜」、「静かな湖畔」の歌詞を「静香の眉間にシワがある〜、クドークドー」など、替え歌ギャグをオペラ調に歌うギャグオペラ歌手という肩書きだった。

この頃はテレビの深夜番組や、『笑っていいとも!』、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で、上記のギャグオペラを披露する仕事が時々あったが、ギャグオペラと掲げてしまったためその言葉と内容に縛られ、リサイタルと称した舞台(お笑いライブ)でもギャグオペラのコーナーを設けなければならず、また当時は「足立新田高校声楽科中退」後イタリアに留学し、ルチアーノ・パヴァロッティに師事していたと語ってしまったため、ある程度オペラについての知識を勉強せねばならず苦労したという(足立新田高校に声楽科は存在しない。無論、留学やパヴァロッティに師事したという件も嘘である)。本物のオペラ歌手だと間違われて、オペラのCDのライナーノーツ(解説)の依頼があったという逸話もある。

『あごはずしショー』終了後は『山口良一のそれゆけ!土曜日行進曲』のレポーターなどを経て、1988年10月より冠番組『伊集院光のオールナイトニッポン』に登板。『あごはずしショー』で共演した岩井富士夫が制作スタッフであった『CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社』(CBCラジオ)にも1989年10月より週1レギュラーで出演を始め、以来、名古屋でも断続的にレギュラー番組を持つようになる。

『オールナイトニッポン』では番組内から生まれた架空のアイドル・芳賀ゆいが話題になるなど、次第に熱狂的な人気を集めていく。その後、平日夜の人気番組だった『三宅裕司のヤングパラダイス』の後番組パーソナリティの最終選考(2名)に残り、選ばれたのは内海ゆたお(現:ゆたか)(『内海ゆたおの夜はドッカーン!』)だったが、内海が精神的なプレッシャーのため11ヶ月で降板し、『伊集院光のOh!デカナイト』が開始されることとなった。
『Oh!デカナイト』も名物コーナー「ザ・ベースボールクイズ」をメインにしたイベントで西武球場のスタンドを中高生のリスナーで満員にするなど人気番組となるが、1995年4月に降板。
スポンサーとの軋轢や局側と喧嘩別れしたとされる形での4月末という改編期でない時期での終了などもあり、一夜限りの復活として開局50周年記念日スペシャル番組の中で『Oh!デカナイト』を放送する2004年までの9年間ニッポン放送の番組への出演は一切無かった。その時期、『Oh!デカナイト』の企画で久保こーじと組み「荒川ラップブラザーズ」(略して「ARB」)のクレジットでラップのCDを出している。
2014年、『ニッポン放送開局60周年記念 ラジオで聴いた『忘れられぬミュージック』』で10年ぶりにニッポン放送への出演をした。

TBSラジオ時代:1995
1995年10月からTBSラジオの深夜番組『深夜の馬鹿力』を開始し、主なラジオでの舞台をTBSラジオへ移す。(同様にニッポン放送からTBSラジオへ移動したパーソナリティに天野ひろゆき爆笑問題などがいる。)

『深夜の馬鹿力』は21年後の2016年現在も続いており、1998年4月から2008年3月までの10年間にわたっては日曜午後のワイド番組『伊集院光 日曜大将軍』『伊集院光 日曜日の秘密基地』のパーソナリティも務めた。この時、一番長くアシスタントを務めたTBSアナウンサー竹内香苗からはその「妻に対する誠実な人柄」により「理想の男性」と評されている。

TBSラジオでの活動にて、いくつかの受賞をしている。2000年には小桜局長がコロッケパーティーを開催(ナイスプレー賞受賞)。2001年にはTBSラジオから「ゴールデンマイク賞」を授与されたが、トロフィーを自局の番組でリスナーにプレゼントしようとし、局長から止められた。2003には放送批評懇談会から「ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞」を授与され、その授賞式では『深夜の馬鹿力』番組内の企画として成人用紙オムツを装着し、壇上で放尿しながら受賞スピーチをした。また、『日曜日の秘密基地』の2006年2月のスペシャルウィーク企画「どこの誰かは知らないけれど、話してみたらスゲー人スペシャル」にてギャラクシー大賞ラジオ部門を受賞。
毎年大晦日に在京3局(TBSラジオ、文化放送ニッポン放送)が持ち回りで担当していた全民放AMラジオ局およびラジオたんぱ合同の『ゆく年くる年』では、ニッポン放送時代に1992→1993年を、TBSラジオ時代には1996→1997年・1999→2000年と3度パーソナリティを担当した。
2016年春より、30年間放送された『大沢悠里のゆうゆうワイド』の後を継ぎ、TBSラジオの平日午前帯ワイド番組のパーソナリティを務めることが2016年1月18日に発表された。2016年4月11日、『伊集院光とらじおと』のタイトルで新番組開始。同日、オフィシャルブログ「伊集院光とらじおとぶろぐと」を開設した。

趣味・嗜好
野球
北海道日本ハムファイターズのファンとして知られる。小学生の頃から社会人野球のファンとなり、後楽園球場で開催されている都市対抗野球大会に1人で通い、様々な企業の社歌を覚えていた。特に、後にOh!デカナイトでトラブルを起こしてしまった新日本製鐵(現・新日鐵住金)のファンであった。 ほどなく後楽園をフランチャイズとしていた日本ハムのファンとなり、9歳の時にファンクラブに加入。ファンとなったきっかけは、初めて見に行った日本ハムの試合でホームランを打った千藤三樹男選手(1972年1981年1982年1991年在籍)からサインを貰ったこと。田中幸雄選手(1986年2007年在籍)の大ファンだった。 1996年7月には、東京ドームにて日本ハムの試合で始球式を行った。笑いを取ろうとして、日本テレビの大道具が製作した大リーグボール養成ギプスのレプリカを装着して登場したが、投球時に養成ギプスのバネの部分が乳首を挟み出血したというエピソードがある。
セ・リーグでは、東海地区で長年レギュラー番組を持っていたこともあり中日ドラゴンズを応援している。
決して運動神経が良い方ではないが・・・

家族
父は医薬品企業イオンの研究員であり(当初はアンネ株式会社に勤めていたが、1993年にライオンが吸収合併する)、日本初の女性用生理用品「アンネナプキン」等の開発を担当した。伊集院は次男で兄・姉・弟がいる。母は料理教室のアシスタント・スタッフ。

日本テレビ系『うるとら7:00』で共演したタレント・篠岡美佳1995年11月7日に結婚。兄弟のいない彼女のため、婿養子となる。ペットは犬を3匹(ジャガイモ「ゴールデンレトリバー」、ナンキン「ミニチュアダックスフント」、カプチーノ「前出2匹の子」)飼っている。また、篠岡との間には子供はいない。

2011年3月11日に発生した東日本大震災およびそれに伴う原発事故の際には余震や放射能を心配して妻を和歌山県西牟婁郡白浜町の実家に犬を連れて一時帰宅させていた。事実上の別居状態であったが、仕事で名古屋・関西方面に訪れた際に会いに行くなど特に不仲ではなかったという。2012年5月に帰京している。

まとめ
落語家として入門5年目にして10年生の仕打ちクラスに匹敵する実力があった、そのまま頑張ればかなり期待できる素質の持ち主。

16才で高校登校教していた半人前を親のつてで落語家一門にお世話になって伝統芸能としてのしきたりが重要で有ることを十分知りながら、与えられた三遊亭楽大ではなく自作の伊集院光としてラジオ業界で仕事を始める度胸・無知・常識知らず、バレるのは時間の問題なのに・・・。 それをやってしまうのが常識にとらわれない伊集院なのです。そんな彼を師匠6代目三遊亭円楽は許し、ある面認め、一人前にされたなと関心します。

オペラの怪人になりきったゆえに、オペラ歌手、オペラ歌手パヴァロッティに師事したことになってしまうなど、1つ事実でない事を公にして積み上げた人物像は自分でも想像できないレベルになってしまうわかり易い例です、学歴詐称問題にならずにまれやれです。

以上①~③の総合した適する人物像は?落語会の「フーテンの寅さん」という感じを思い浮かべました。マイペースでありながらもけっこう周囲に気を使い、しかし社会規範に馴染めず、いつしかやさいいアウトローになってしまう人。

でも「フーテンの寅さん」と決定的に違うのはマドンナとまともな結婚をして、今でも破局せずに続いていいる事です。10年らいの女性アシスタント竹内香苗曰く、「妻を思い気遣う姿は理想の男性」という評価、この点では圓楽師匠を超えたと思えるのですが。

最後にお二人にはお子さんがおられないのがどうして?と言う疑問が残るのです。先日の北海道での躾問題ではありませんが、人は「親になり子を育て上げて一人前」と思うからです。養育して自分が養育されたことを追体験、次世代への最大の責任であり、希望でもあると思うからです。
最後の最後に、冒頭で「とことん検証したい」と書いた内容に反する事を反省しています。しかし諸事情より今回はここまでです。

 

 

 

スポンサーリンク

 - 芸能