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北条攻めは天下人の攻略法、三成、真田、伊達ら異なる戦法

      2017/03/03

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第23回「攻略」のあらすじ:秀吉は全国から集めた20万人の軍勢を使い、北条攻めを天下人としてhぽ威信を示すべくじっくり取りかかるように三成に指示しました。小田原城は背面の山の手を除き3面を完全に包囲された。既に勝敗は誰の目に明らかだが、氏政のみが寄せ集めの秀吉軍は自分達が粘って時間稼ぎしている間に内部分裂するだろう、更に伊達政宗の大軍が我々を支援に来るだろう!と信じていた。しかし今更、誰が秀吉に逆らう事を… 誰が北条に着くだろう?

各回へのリンク:
第18回「上洛」5月8日:
第19回「恋路」5月15日:第20回「前兆」5月22日:第21回「戦端」5月29日:第22回「裁定」6月5日:第24回「滅亡」6月15日(予告のみ)

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相関図:拡大版はここから

主な見所
秀吉の決断:秀吉(小日向文世)は天下人としての権勢を誇示する為に、全国の大名に出動命令を下して、約20万人の軍隊を結集させた、過去に例をみない壮大なスケールであった。また北条攻めは秀吉の側近、石田(山本耕史)・大谷(片岡愛之助)達にとっては天下統一後の近い将来、朝鮮・中国明との戦いに備える意味もあった。石田は来る海外戦こそ本戦であると思い、1~2ヶ月で北条との戦を終わらせる計算をしていたと思われ、長引く戦況に苛立っていた。そして石田は北条配下で現在の埼玉県行田市にあった忍城を攻めあぐんでいた真田昌幸達に不満をぶつけた。しかし頭で想定した戦況と自分が実際に現場を指揮した違いは歴然で、思うように戦況が好転しないことに石田は腹立たしかった。
北条内の混乱:迎え撃つ北条は関東武士の誇りとおごりから抜けだせない氏政(高嶋政伸)は隠居の身であり、実権を握ったままだった。有能な家臣板部岡江雪斎(山西惇)からの和睦すべしと言う助言に賛同しながらもに家督を持つ息子氏直(細田善彦)は現状において勝てない戦を仕掛け、負け戦と解りながらもそれを主張する隠居の身である父氏政を説得できずに苦慮していた。北条の家臣達を本戦回避へと父の意向に反して先導する希薄にかけていた。父の方針は間違っていると解りながらもそれを是正する試みすらしなかった事は真に残念です。父を支え報いる事は時に自らを捨てても、相手の意見を覆す覚悟と努力が必要でした。
③北条の期待する奥州の雄、伊達正宗:北条氏政が秀吉軍勢の20万に囲まれても、まもなく奥州(東北)の盟友が大軍がもって参戦してくれれば戦況は一変して、秀吉の寄せ集め大軍も意志統一が乱れ、形勢逆転は必ずできると思っていた頼みの綱、伊達政宗(長谷川朝晴)は彼の前に現れず秀吉の陣に許しを請う姿勢として白装束で現れた。それを知った氏政の落胆は容易に想像できます。
伊達政宗

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まとめ
北条家は戦国大名の中でもベスト10以内に入る名家と思います。それを自負して溺れてしまった実質当主氏政が妙に気になります。いくらでも秀吉との戦を回避して、秀吉のの没後までチャンスを待てば徳川家の関東基盤は無かった可能性が大きく徳川家の暴走も止められてかもしれません。
つくづく、氏政はいくら戦後時代の大大名だと言っても自分のプライドしか考えていないのでは当主失格です。当主とは「領土・領民・家臣」の安堵を第一に思うべきです。それでこそ、民は日頃、自分達の事を思ってくれているお殿様の命令に絶対的に従順に従う事ができる信頼関係が在ったのだと思います。氏政が本当に「領土・領民・家臣」を思っていたならば、十分に秀吉・氏政間で和解が成立したに違いないと思えてしかたありません。トップリーダーは最悪時に自分の感情で判断行動してはいけない。時の流れがどれだけ、想像を絶する変化をもたらしたかを北条親子は知っていたはず、見てきたはず。例えば尾張の名古屋のうつけと言われた信長が天下取りに大手をかけたが失脚した。その途上では信長の恐れた武田家は滅亡そして百姓出身の秀吉がほぼ天下人等。対照的に徳川家康はそれをよくよく理解して応用できた人物と思えます。
北条の選択北条攻めでもう一人、真田丸主人公以外でその後に大きな影響力をもたらした石田三成に注目したいと思います。彼は北条攻めはできれば避けて、天下統一を早く成し遂げて海外に勢力拡大をしたい秀吉の悪夢を本当に実現したいとそろばんを弾いていた思っていたと思われます。
その遠征時期も北条の件が決着して恐らく1年前後と考え、そこまでの時間と財力を浪費したくなかった。計算高い三成は20万人の兵を維持する戦費を中心に戦略を考えていたのではないでしょうか?この後も彼の計算違いは豊臣家の明暗を左右するので注目せざるを得ません。   

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