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真田丸「前兆」、天下人は落書きで罪なき人を処刑へ、豊臣家に暗雲が

      2017/03/03

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あらすじ5/22第20回「前兆」:天正15・1587年、秀吉(小日向文世)の側室となった茶々(竹内結子)が子をみごもる。秀吉は有頂天になるが、城下ではそれをあなどる落書き(本当に秀吉の子?)発見される。信繁(堺雅人)は石田三成(山本耕史)や大谷吉継(片岡愛之助)と犯人探しに乗り出すが、捜査は難航する。怒りがおさまらない秀吉は、犯人が見つからなければ門番や町人たちまでをも処刑すると言いだす。知恵を絞る信繁。豊臣政権への信頼を揺るがしかねない事態に寧ねい(鈴木京香)は…。

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相関図
相関図19

参考資料
略年譜(1567年信繁誕生~1615大阪夏の陣・信繁戦死享年49才)
(略年表を見れば時代とドラマの流れが判りやすく、興味10倍増です)

主な見所
①祝言を挙げる信幸と稲:家康により信幸は妻おこうと離縁して本田忠勝の娘稲(吉田羊)と夫婦にならざるをえなかった。家康以外、両家とも誰も望まな結婚であったが拒否できなかった。信幸は離縁を
おこうに詫びるが事情を理解し、受入れる。後、おこうは信幸への未練から侍女として仕える。信幸と稲の祝言②落書きより無実の者多数処刑:秀吉の妻達は誰も身ごもった事がない、そこに最愛の茶々が身ごもり秀吉は有頂天になる。そしてそれを皮肉った落書きが城壁に書かれた事を知った秀吉は烈火の如く怒り、犯人を捕らえ厳重に処罰するように命じる。三成は信繁・吉継と協力して犯人探しをすれど見つからず、秀吉はしびれをきらし城壁見回り役一同を処刑してしまう。その後、三成達は病死した者を真犯人として秀吉に報告する。すると秀吉は更に逆上して死んだ真犯人の親類縁者と近隣の者、全員に処刑命令を下す。三成がそれを諌めるも聞かず、逆に三成までも切腹を命じられる。 3人③正妻寧(ねい)の助言:三成への切腹命令に対して、遂に寧は「これ以上、馬鹿なことはやめなさい」と秀吉をいさめる。彼女以外にこの状況を収められる者がいなかった。秀吉の暴走が明白になった事件であった。寧の助言

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まとめ
正幸はやむなく自分の立場上、保身ではなく、真田一族の為に当時の習わしを受入れた。現代人は自分の為にすら結婚しない若者が多い。自分中心に生きられるが故に親子・友人関係が希薄になり強い生き甲斐が見出しづらい時代に思えます。自分だけの為に生きる人が幸せになれるとは限らない?そもそも幸せとは?この定義が現代人でも不明なのでは、多様性の追求。しかし幸福は一人では得られないと思う。
落書き事件で秀吉の狂人ぶりがあらわになる。その後1598年秀吉が他界するまでの数11年間で「朝鮮出兵・秀次の自刃等」豊臣家は人心を失い、天下も。その初めは内部崩壊、家臣達・親族達が彼を支えきれていないかった、ただ従うだけでは・・・歴史の教訓
1582年6月本能寺の変より秀吉は関白になりほぼ天下統一をなす、そして悲願の茶々が側室になり(1987年)身ごもろ事で彼の人生は最高潮にたっするまで、わずか5年間。しかしその凋落も早かった、秀吉死後の17年後大阪夏の陣で豊臣家は多くに家臣と共に滅亡した。早く完成したものは崩れのも早い。否、完成したようで豊臣家は完成しきれていなかった。家門は少なくても3代続いてこそ。秀吉の天下統一はそこに限界あり。
彼が本当に人心をつかむ天才なれば落書き事件から始まる多くの殺生は起こらなかった。刀狩り、全国大名に不戦を指示して戦国の世を終わらせた事は真に偉大です。しかしそれよりも困難でさすがの彼もできなかった事自分の邪心を治める事と思います、万民共通の課題です。 

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